マリア・クリスティーナ・フォン・ザクセンの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

マリア・クリスティーナ・フォン・ザクセン

推定知名度0.27%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

マリア・クリスティーナ・アルベルティーナ・カロリーナ・フォン・ザクセン(ドイツ語:Maria Christina Albertina Carolina von Sachsen, 1770年12月7日 - 1851年11月24日)は、サルデーニャ王国|サルデーニャ王家サヴォイア家傍系のサヴォイア=カリニャーノ家|カリニャーノ公カルロ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ|カルロ・エマヌエーレの妃。サルデーニャ王カルロ・アルベルト・ディ・サヴォイア|カルロ・アルベルトの母。イタリア語名はマリーア・クリスティーナ・ディ・サッソニア(Maria Cristina di Sassonia)。かつてクールラント・ゼムガレン公国|クールラント公国の統治者を務めたザクセン公国|ザクセン公子カール・フォン・ザクセン|カール(ポーランド王国|ポーランド王兼ザクセン選帝侯アウグスト3世 (ポーランド王)|アウグスト3世の五男)と、ポーランド貴族の娘フランチシュカ・クラシンスカ伯爵夫人との間に生まれた。両親の結婚は貴賤結婚であったが、母フランチシュカが1775年に神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世から侯妃の称号を授かったことで、帳尻が合わせられた。マリア・クリスティーナは1797年、トリノで第6代カリニャーノ公カルロ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ|カルロ・エマヌエーレと結婚し、間に2人の子供をもうけた。#カルロ・アルベルト(1798年 - 1849年) 第7代カリニャーノ公、のちサルデーニャ王#マリーア・エリザベッタ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ|マリーア・エリザベッタ(1800年 - 1856年) オーストリア大公ラニエーリ・ダズブルゴ|ライナー・ヨーゼフと結婚結婚から3年後の1800年、夫カルロ・エマヌエーレは同盟者であるフランス第一共和政|フランス共和国を裏切ったとしてフランス当局に逮捕され、パリで獄死した。マリア・クリスティーナはその16年後の1816年、フランスのモンレアル公爵ジュール・マクシミリアン(1787年 - 1865年)と再婚した。この再婚では子供は生まれなかった。マリア・クリスティーナは1851年、パリで世を去った。80歳だった。

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