マリア・アンナ・フォン・アンハルト=デッサウの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

マリア・アンナ・フォン・アンハルト=デッサウ

推定知名度0.47%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

マリア・アンナ・フォン・アンハルト=デッサウ(Maria Anna von Anhalt-Dessau, 1837年9月14日 デッサウ - 1906年9月12日 フリードリヒスローダ)は、ドイツのアンハルト公レオポルト4世 (アンハルト公)|レオポルト4世の娘で、プロイセン王子フリードリヒ・カール・フォン・プロイセン (1828-1885)|フリードリヒ・カールの妻。アンハルト=デッサウ公(のちアンハルト公)レオポルト4世とその妻でプロイセン王子ルートヴィヒ・フォン・プロイセン|ルートヴィヒの娘であるフリーデリケ・フォン・プロイセン (1796-1850)|フリーデリケの間の末娘として生まれた。1854年11月29日、母方の又従兄にあたるプロイセンのフリードリヒ・カール王子と結婚したが、結婚生活は不幸であった。夫のフリードリヒ・カールは妻が立て続けに女の子ばかり産むことに腹を立て、四女ルイーゼ・マルガレーテ・フォン・プロイセン|ルイーゼ・マルガレーテが誕生した際は、息子を産まないマリア・アンナを殴ったと言われる。また、夫が子どもたちに強圧的な態度をとることが許せず、ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム1世に離婚を申し立てたこともあるという。1885年に夫と死別すると、マリア・アンナは自分に仕える侍従のヴァーゲンハイム大尉と密かに再婚したと噂された。マリア・アンナは1906年にフリードリヒスローダで亡くなった。

過去の推移