マインツ大司教(Erzbistum Mainz)、またはマインツ選帝侯(Kurfürstentum Mainz または ''Kurmainz'' )は、780/82年から1802年まで神聖ローマ帝国にあった、大きな力を持った司教領主である。カトリック教会のヒエラルキーではマインツ大司教はドイツにおける最高位の聖職者(''primas Germaniae'')であり、アルプス以北でのローマ教皇の代理人であった。マインツ大司教座は司教座の中でも、ローマ大司教座を除いて唯一、「聖」を付して「マインツ聖座」(Sancta Sedes Moguntina)と呼ばれて......
マインツ大司教(Erzbistum Mainz)、またはマインツ選帝侯(Kurfürstentum Mainz または ''Kurmainz'' )は、780/82年から1802年まで神聖ローマ帝国にあった、大きな力を持った司教領主である。カトリック教会のヒエラルキーではマインツ大司教はドイツにおける最高位の聖職者(''primas Germaniae'')であり、アルプス以北で......