ボニファーチオ・ディ・カノッサの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

ボニファーチオ・ディ・カノッサ

推定知名度0.39%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ボニファーチオ・ディ・カノッサ(Bonifacio di Canossa, 985年 - 1052年5月6日)は、カノッサ伯(在位:1012年頃 - 1052年)、トスカーナ辺境伯(4世)(在位:1027年 - 1052年)。カノッサ家(Canossiana)出身で、神聖ローマ帝国期の有力な領主の一人であり、レッジョ、モデナ、マントヴァ、フェラーラを支配した。ボニファーチオは、ランゴバルド族の家系のアダルベルト・アットー (Adalberto Atto) またはアットーネ (Attone) の孫であり、アダルベルトの子テダルド・ディ・カノッサとその妻ウィラ(ボゾン家トスカーナ辺境伯の出身ともされる)との間の次男である。兄テダルトはアレッツォ司教となり、弟コッラードはロンバルディアの伯らとともにボニファーチオと対立したのち1030年死去した。ボニファーチオは常に神聖ローマ皇帝を支持し、1014年、ロンバルディア領主による皇帝ハインリヒ2世への反乱を鎮圧した。1026年には、皇帝コンラート2世がイタリア王となるためアキテーヌ公と争った際に、ボニファーチオはコンラートに加勢した。これにより翌1027年にボニファーチオはトスカーナ辺境伯位を与えられた。ボニファーチオはまた1034年6月のブルグント王国継承に関する皇帝コンラート2世とブロワ伯ウード2世との戦いにおいても皇帝側で参戦している。一方で、強大化したボニファーチオの勢力に対し、皇帝は圧力を加えた。1056年5月6日、マントヴァ近くのサン・マルティーノ・アッラルジーネの狩りの途中で暗殺された。暗殺者はオパルマのスカルペッタ・デ・カネヴァリと言われており、暗殺の黒幕は皇帝ハインリヒ3世ともされている。マントヴァに埋葬された。

過去の推移