龐 徳(ほう とく、? - 建安24年(219年8月))は、中国後漢末期の武将。字は令明(れいめい)。涼州南安郡狟道県の人。従兄は龐柔。子は龐会。龐悳とも表記される。『三国志』魏志に伝がある。関中軍閥の馬騰・馬超父子の配下で、曹操に敗れた馬超が漢中の張魯に身を寄せた時もこれに従ったが、そこで馬超と袂を分かち曹操に仕えた。曹操配下として活動した期間は短かったが、その忠烈な最期を称えられ、史書に名を残す事となった。
龐 徳(ほう とく、? - 建安24年(219年8月))は、中国後漢末期の武将。字は令明(れいめい)。涼州南安郡狟道県の人。従兄は龐柔。子は龐会。龐悳とも表記される。『三国志』魏志に伝がある。関中軍閥の馬騰・馬超父子の配下で、曹操に敗れた馬超が漢中の張魯に身を寄せた時もこれに従ったが、そこで馬超と袂を分かち曹操に仕えた。曹操配下として活動した期間は短かったが、その忠烈な最期を称え......