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ペドロ・カルロス・デ・ボルボーン

推定知名度0.24%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ペドロ・カルロス・デ・ボルボン・イ・ブラガンサ(Pedro Carlos de Borbón y Braganza, 1786年6月18日 - 1812年7月4日)は、スペインおよびポルトガルの王族。スペイン王カルロス3世を父方の祖父に、ポルトガル女王マリア1世を母方の祖母に持ち、スペイン王子(Infante de España)とポルトガル王子(Infante de Portugal)の2つの称号を有した。全名はペドロ・カルロス・アントニオ・ラファエル・ホセ・ハビエル・フランシスコ・ネポムセノ・トマス・デ・ビリャヌエバ・マルコス・マルセリーノ・ビセンテ・フェレル・ライムンド(Pedro Carlos Antonio Rafael Jose Javier Francisco Juan Nepomuceno Tomas de Villanueva Marcos Marcelino Vicente Ferrer Raymundo)。ポルトガル語名はペドロ・カルルシュ・デ・ボルボン・イ・ブラガンサ(Pedro Carlos de Bourbon e Bragança)。ペドロ・カルロスはスペイン王子ガブリエルとポルトガル王女マリア・アナ・ヴィトリアの間の長男として生まれた。両親は1788年11月に相次いで亡くなり、弟妹もすでに幼くして死んでいたので、ペドロ・カルロスは2歳で孤児となった。父ガブリエル王子はカルロス3世王のお気に入りの息子だったが、祖父カルロス3世もガブリエルが死んだ翌月に死去した。跡を継いだ伯父のカルロス4世は、幼い甥は母方の実家で引き取られる方がよいと判断し、ペドロ・カルロスは母方の祖母のポルトガル女王マリア1世のもとで養育されることになった。ポルトガル宮廷に引き取られた際、ペドロ・カルロスは生まれながらに持つ「スペイン王子(Infante de España)」の称号に加えて「ポルトガル王子(Infante de Portugal)」の称号をも与えられた。ペドロ・カルロスは父の莫大な財産を相続していたこともあって、ポルトガル宮廷では非常に歓迎された。成長したペドロ・カルロスは、伯父の摂政宮ジョアン王子(後のジョアン6世)の妻で従姉でもあるカルロッタ・ジョアキナと不倫関係にあったという。カルロッタは夫のもとを離れ、ペドロ・カルロスの住むケルス宮殿で暮らしていた時期もあった。1807年、ポルトガルがナポ

過去の推移