ベルトラード・ド・モンフォールの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

ベルトラード・ド・モンフォール

推定知名度0.34%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ベルトラード・ド・モンフォール(Bertrade de Montfort, 1070年頃 - 1117年2月14日)は、モンフォール=ラモーリー領主シモン1世とアニェス・デヴルーの娘。初め、アンジュー伯フルク4世と結婚し、エルサレム王国|エルサレム王にもなったフルク5世(イングランド王国|イングランド王ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世の祖父)をもうけた。1092年、ベルトラードは夫フルク4世を捨て、フランス王国|フランス王フィリップ1世 (フランス王)|フィリップ1世の許へ出奔した。フィリップ1世には王妃ベルト・ド・オランドがいたが、ベルトを修道院へ押し込めてベルトラードと再婚した。ベルトは1093年に死去したが、フィリップ1世は1094年にリヨン司教によって破門された。さらに1095年のクレルモン教会会議において教皇ウルバヌス2世 (ローマ教皇)|ウルバヌス2世が正式に破門を宣告した。その後、破門が解かれたこともあったが、フィリップ1世はベルトラードとの関係を断たなかったことから、1104年まで破門が繰り返された。これによりフィリップ1世は権威を失い、第1回十字軍にも参加できず、また先妻ベルトとの間の息子であるルイ6世 (フランス王)|ルイ6世が実権を掌握することになった。ベルトラードはフィリップ1世との間にフィリップ、フルリーの2男と1女セシルをもうけた。セシルは初めタンクレード (ガリラヤ公)|ガリラヤ公タンクレードと、次いでトリポリ伯国|トリポリ伯ポンスと結婚した。Category:フランスの王妃Category:モンフォール家Category:カペー朝の人物Category:カトリック教会に破門された人物Category:11世紀生Category:1117年没

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