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ベネディクトゥス9世

推定知名度0.79%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ベネディクトゥス9世(Benedictus IX、1012年頃 - 1055年ないし1065年ないし1085年)はローマ教皇(在位1032年10月 - 1044年9月、1045年4月 - 5月、1047年11月 - 1048年7月)。退位と復位を繰り返し前後3期にわたって在位した個性の強い教皇である。貴族トゥスクルム伯アルベリクス3世の子息としてローマに生まれる。名はテオフィラクトゥス(Theophylactus)。ベネディクトゥス8世 (ローマ教皇)|ベネディクトゥス8世とヨハネス19世 (ローマ教皇)|ヨハネス19世の甥にあたる。1032年に父アルベリクス3世の支援により教皇として戴冠する。このときベネディクトゥスは18~20歳という若さであり、資料によっては11~12歳だったともいう。伝承によると、ベネディクトゥスは放蕩に明け暮れるでたらめな生活を送ったという。ペトルス・ダミアニはその著作『ゴモラの書』においてベネディクトゥス9世を「聖職者に扮した地獄からの悪魔」に喩え、教皇庁の腐敗やベネディクトゥスの同性愛行為を批判した。またピアチェンツァ司教ベンノーもベネディクトゥスの犯した「嫌悪すべき姦淫と殺人」を糾弾した。後年、教皇ウィクトル3世 (ローマ教皇)|ウィクトル3世は「ベネディクトゥスの強姦、殺人、そして口に出せないような所業」について調査を行わせており、その結論として「彼の教皇としての生涯は嫌悪すべきもので、腐りきったもので、忌まわしいものでしかない。私は身震いを禁じえない」と述べている。ベネディクトゥス9世は1036年にローマを追放されたものの、この時は神聖ローマ帝国|神聖ローマ皇帝コンラート2世 (神聖ローマ皇帝)|コンラート2世の助力により短期間でローマに帰還した。1044年9月に再びローマを追放されると、替わってシルウェステル3世 (ローマ教皇)|シルウェステル3世が教皇に選出されていたが、ベネディクトゥスは翌1045年4月にはローマに入城し、シルウェステル3世を廃位・破門の上追放して自ら教皇に復位した。これが2度目の在位である。しかし直後の5月には、おそらく結婚をするために、教皇位を代父母|代父にあたる司祭ヨハンネス・グラティアヌスに売却してしまった。その売却益は金650キログラム以上に相当するものだったという。グラティアヌスは教皇グレゴリウス6世 (ローマ教皇)|グレゴリウス6世として戴冠

過去の推移