画像引用元: upload.wikimedia.orgヘレーネ・ツー・メクレンブルク
ヘレーネ・ツー・メクレンブルク(ドイツ語|独:Helene Herzogin zu Mecklenburg[-Strelitz], 1857年1月16日 サンクトペテルブルク - 1936年8月28日 レンプリン)は、ドイツのメクレンブルク=シュトレーリッツ大公家の一員で、ロシアの貴族女性。ザクセン=アルテンブルク公子アルベルト・フォン・ザクセン=アルテンブルク|アルベルトの2番目の妻。ロシア語名はエレナ・ゲオルギエヴナ・メクレンブルクスカヤ(Елена Георгиевна Мекленбургская)。ドイツ語全名はヘレーネ・マリー・アレクサンドラ・エリーザベト・アウグステ・カロリーネ(Helene Marie Alexandra Elisabeth Auguste Karoline)。メクレンブルク=シュトレーリッツ大公ゲオルク (メクレンブルク=シュトレーリッツ大公)|ゲオルクの次男ゲオルク・アウグスト・ツー・メクレンブルク|ゲオルク・アウグストとその妻でロシア大公ミハイル・パヴロヴィチの娘であるエカチェリーナ・ミハイロヴナの間の第2子、長女として生まれた。両親が広義のロシア帝室の一員となっていたため、ヘレーネもペテルブルクのロシア美術館|ミハイロフスキー宮殿で育った。非常に裕福な女子相続人として知られ、財産のないバッテンベルク家の公子アレクサンダル (ブルガリア公)|アレクサンダー・ヨーゼフ(後のブルガリア公)との縁談もあったが、実現に至らなかった。1891年12月13日にレンプリン(現在のメクレンブルク=フォアポンメルン州デミン郡)において、ザクセン=アルテンブルク家の公子アルベルトと結婚した。アルベルトは死別した最初の妻のプロイセン王女マリー・フォン・プロイセン (1855-1888)|マリーとの間に2人の娘がおり、この結婚は再婚であった。ヘレーネと夫との間に子供は生まれなかった。結婚後はベルリンやシュヴェリーンで暮らした。1902年に夫と死別するとロシアに戻り、母方の祖母エレナ・パヴロヴナ (ロシア大公妃)|エレナ・パヴロヴナ大公妃の創設したロシア音楽協会の総裁などを務めた。1919年にロシア内戦でボリシェヴィキが政権を掌握すると、ヘレーネは家族とともにロシアを出国し、ドイツのレンプリンの所領で余生を送った。
