画像引用元: upload.wikimedia.orgプスコフ公
推定知名度0.21%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
プスコフ公(Псковские князья)はプスコフ公国(プスコフ共和国)の公の称号(クニャージ)である。プスコフ公国の初代の公はウラジーミル1世の子のスディスラフである。プスコフ公国では民会の力が強く、公の権限は他のルーシの諸公国に比べわずかなものだった。キエフ大公国の滅亡の後、プスコフ公国はノヴゴロド公国に属していたが、1348年にノヴゴロド公国はプスコフ公国の独立を認めた。一方、プスコフ公国はモスクワ大公国へ接近し、モスクワ大公による公の任免権を承認した。1399年からのプスコフ公はモスクワのナメストニク(モスコフスキー・ナメストニク)と呼ばれる。1510年にモスクワ大公のヴァシーリー3世はプスコフ公国の併合を宣言し、モスクワ大公国の一部となった。(留意事項)*各人物は、文献によっては「~世」・「~公」等の数えや通称の併記、あるいは洗礼名での表記などにより、異なる表記がなされている可能性がある。*各人物は、他の称号の元で異なる数えがなされる可能性がある。(例:ムスチスラフ・ロマノヴィチはプスコフ公としては2人目のムスチスラフであるが、キエフ大公としては「ムスチスラフ3世」となる。)各人物の詳細は各頁を参照。
過去の推移
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