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フランク・シールズ

推定知名度2.62%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

フランク・シールズ(Frank Shields, 1909年11月18日 - 1975年8月19日)は、アメリカ・ニューヨーク出身の男子テニス選手。フルネームは Francis Xavier Shields (フランシス・ザビエル・シールズ)といい、「フランク」は彼の愛称である。1930年の全米選手権と1931年のウィンブルドン選手権で、4大大会男子シングルスに2度の準優勝を記録した後、1930年代後半にハリウッド俳優としても活動した人である。女優ブルック・シールズの祖父としても知られる。シールズは1926年から全米選手権に出場し始め、2年後の1928年に同選手権の準決勝でアンリ・コシェと対戦した。1930年の全米選手権で、彼は最初の4大大会男子シングルス決勝に進出する。対戦相手のジョン・ドエグは、左利きの荒々しい強力サービスを武器にする選手だった。第3セット終了時点でドエグにセットカウント 1-2 (ゲームカウント:シールズから見て 8-10, 6-1, 4-6)とリードされた後、第4セットでシールズがゲームカウント 14-13 でセット・ポイント(このポイントを決めれば、1セットを取れる)をつかんだ。ここからドエグがサービスで逆転し、シールズは第4セットを 14-16 で落とした。これでドエグの優勝が決まり、シールズは1930年の全米男子シングルス準優勝者になった。翌1931年のウィンブルドン選手権で、シールズはジャン・ボロトラとの準決勝の途中で芝生に足を滑らせ、足首を痛めてしまった。ボロトラには 7-5, 3-6, 6-4, 6-4 で勝ち、ウィンブルドン決勝進出を決めたが、足首のけがのためシドニー・ウッドとの決勝戦に出場できなくなった。ウィンブルドン男子決勝が「不戦勝」の結末になったのは、後にも先にも1931年の1度だけである。ウィンブルドンのアクシデントから2年後、シールズは1933年の全米選手権でシングルスのベスト4に入り、男子ダブルス準優勝を記録した。3年ぶり3度目のシングルス準決勝ではジャック・クロフォードに敗れたが、その過程の4回戦でシールズは日本の布井良助を 7-5, 6-2, 6-3 で破った。シールズが日本人男子選手と対戦したのは、布井を下した1933年全米選手権4回戦の1度だけである。男子ダブルスで、シールズは当時17歳のフランク・パーカーとペアを組んで初の決勝に進んだが、ジョー

過去の推移