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フェルナンド1世

推定知名度0.97%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

フェルナンド1世(Fernando I, 1345年10月31日 - 1383年10月22日)は、第9代ポルトガル王国|ポルトガルポルトガル君主一覧|王(在位:1367年 - 1383年)。ポルトガル王ペドロ1世 (ポルトガル王)|ペドロ1世と2度目の王妃コンスタンサ・マヌエル(カスティーリャ王族フアン・マヌエルの長女)の子。「美男王」とも呼ばれる。1367年に父の死にともない即位した。1369年にカスティーリャ王国|カスティーリャ王ペドロ1世 (カスティーリャ王)|ペドロ1世がエンリケ・デ・トラスタマラに暗殺され、エンリケがエンリケ2世 (カスティーリャ王)|エンリケ2世(母の異母妹フアナ・マヌエル・デ・カスティーリャ|フアナ・マヌエルを妻としている)として即位するが、フェルナンドはカスティーリャ王サンチョ4世 (カスティーリャ王)|サンチョ4世の曾孫であることを根拠に王位継承権を主張した。そしてアラゴン連合王国|アラゴン王ペドロ4世 (アラゴン王)|ペドロ4世と同盟を結び、ペドロ4世の王女レオノールと婚約した。フェルナンドはガリシア王国|ガリシアへ攻めこんだが、カスティーリャ軍に反撃され、海路ポルトに引き上げた。教皇グレゴリウス11世 (ローマ教皇)|グレゴリウス11世の仲裁により1371年3月31日、アルマウィン講和条約を結んで兵をポルトガルへ引き上げ、カスティーリャ王女レオノールと婚約した(アラゴン王女との婚約は破棄した)。講和の後、フェルナンドは平民出身で人妻のレオノール・テレスに横恋慕し、離婚させて結婚した。これに反対してリスボンでは暴動が起きたが、首謀者は王妃レオノールの命により処刑された。1372年、カスティーリャ王女コンスタンス・オブ・カスティル|コンスタンサ(ペドロ1世の次女)を妻にしていたイングランド王国|イングランド王子ジョン・オブ・ゴーントと同盟を結び、ジョンがカスティーリャの王位を狙うのに協力した。しかし、エンリケ2世に海陸両側からリスボンを包囲され、市民はよく耐えたが、フェルナンドは翌1373年に講和条約を結んでカスティーリャから兵を引き上げた。1381年、再びジョン・オブ・ゴーントと同盟を結び、カスティーリャへ侵攻したが、再びカスティーリャ軍に侵入された上、同年にサルテスの海戦でも敗北した。この時の講和で、最初の王妃を亡くしていたカスティーリャ王フアン1世 (カスティーリャ王)|フ

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