フェルディナント2世の画像画像引用元: upload.wikimedia.org

フェルディナント2世

推定知名度1.18%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

フェルディナント2世・フォン・エスターライヒ(Ferdinand II. von Österreich, 1529年6月14日 - 1595年1月24日)は、オーストリア大公(前方オーストリア(Vorderösterreich)大公)。神聖ローマ皇帝フェルディナント1世と皇后アンナ・ヤギエロの次男(第3子)として、リンツで生まれた。皇帝マクシミリアン2世の弟である。1547年から父に命じられボヘミアの統治者になり、1556年のハンガリーにおける対オスマン帝国戦を指揮した。1557年、フェルディナントは秘密裡にアウクスブルクの豪商ヴェルザー家出身のフィリッピーネ・ヴェルザーと結婚した。当時ヴェルザー家は貴族に列せられていたが、皇族と結婚できるほど身分は高くなく、フェルディナント1世以外には結婚を伏せることでようやく許されたものだった。フィリッピーネとの間に生まれた子供たちは“フォン・エスターライヒ”と名乗ることは許されたものの、帝位継承権は認められず、男子についてのみブルガウ辺境伯の称号を授けられた。1564年のフェルディナント1世の死後、父の望み通りチロルの統治者となった。しかし、兄マクシミリアンの要請もあり、1567年までプラハでボヘミア総督を務めた。1580年にフィリッピーネに先立たれると、1582年に姪にあたるアンナ・カテリーナ・ゴンザーガ(マントヴァ公グリエルモ・ゴンザーガと、フェルディナントの妹エレオノーレの娘)と再婚。アンナ・ユリアーネとの間には男子が生まれなかったため、チロルはフェルディナントの死後に同族に継承された。アンナ・カテリーナの生んだ娘アンナが皇帝マティアスの皇后となると、チロルはマティアスに継承された。

過去の推移