フィリップ=フランソワ・ダランベールの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

フィリップ=フランソワ・ダランベール

推定知名度0.71%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

フィリップ=フランソワ・ダランベールまたはフィリップ・フランツ・フォン・アーレンベルク(フランス語|仏:Philippe-François d'Arenberg;ドイツ語|独:Philipp Franz von Arenberg, 1625年7月30日、ブリュッセル - 1674年12月17日、ブリュッセル)は、スペイン領ネーデルラントの上級貴族、軍人。初代アーレンベルク公爵、第6代アールスコート公爵。アーレンベルク侯フィリップ=シャルル・ダランベール|フィリップ=シャルルとその2番目の妻のラレン女伯イザベル・ド・クレイモンの間の長男として生まれ、1640年に父が死ぬと家督を継いだ。彼は初めマドリードに住み、スペイン王室の近衛連隊の大尉に任じられた。この職務の関係で、国王フェリペ4世 (スペイン王)|フェリペ4世のカタルーニャ地方への旅行にも随行している。1644年には神聖ローマ皇帝フェルディナント3世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント3世の計らいにより、アーレンベルク家は神聖ローマ帝国の侯(フュルスト)から公爵に昇格した。一族とハプスブルク家との長年の主従関係から、フィリップ=フランソワはプロテスタント系の北部諸州(ネーデルラント連邦共和国)の求める自主独立に強く反対し、八十年戦争や三十年戦争の最中はずっとハプスブルク側を支援し続けた。1646年には金羊毛騎士団の騎士に任じられている。フィリップ=フランソワはスペイン王家にゼーフェンベルゲンの所領を譲渡した。この所領はスペインとネーデルラント連邦共和国との和平協定の中でオラニエ=ナッサウ家が引渡しを求めていた地域で、フィリップ=フランソワは補償としてフォーコネイ=エ=ラ=メール(Faucogney-et-la-Mer、現在のフランス領オート=ソーヌ県の町)および120の村を与えられている。1648年の和平成立後、フィリップ=フランソワはスペインに戻らずにスペイン領ネーデルラントにとどまり、同地に駐屯するスペイン人歩兵連隊の連隊長を務め、1651年にレオポルト・ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒ|レオポルト・ヴィルヘルム大公と同職を交替した後は、ドイツ人胸甲騎兵連隊の連隊長となった。1651年から1658年までフランス・スペイン戦争 (1635年-1659年)|フランス・スペイン戦争(Guerra franco-española)に従軍し、1654年にアラス

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