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フアン1世

推定知名度0.92%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

フアン1世(Juan I, 1358年7月20日 - 1390年10月9日)は、カスティーリャ王国トラスタマラ家|トラスタマラ朝のカスティーリャ君主一覧|国王(在位:1379年 - 1390年)。エンリケ2世 (カスティーリャ王)|エンリケ2世(恩寵王)と王妃フアナ・マヌエル・デ・カスティーリャ|フアナ・マヌエルの子。1375年、アラゴン君主一覧|アラゴン王ペドロ4世 (アラゴン王)|ペドロ4世の王女レオノール・デ・アラゴン (カスティーリャ王妃)|レオノールと最初の結婚をした。カスティーリャとレオン王国|レオンの王位を継承したエンリケ3世 (カスティーリャ王)|エンリケ3世、母方からアラゴンとシチリア王国|シチリアの王位を継承したフェルナンド1世 (アラゴン王)|フェルナンド1世は、レオノールとの間の子である。1382年にレオノールが死去すると、同年のうちにポルトガル君主一覧|ポルトガル王フェルナンド1世 (ポルトガル王)|フェルナンド1世の王女ベアトリス・デ・ポルトゥガル (カスティーリャ王妃)|ベアトリスと再婚した。翌1383年、フェルナンド1世が死去すると、その娘婿である所以を理由にしてポルトガルに侵攻し、その領土支配と王位継承を目論んだ。しかし1385年、アルジュバロータの戦いでフェルナンド1世の庶弟に当たるジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世(大王)の前に大敗を喫してしまった。このように連年のポルトガル侵攻を行なった結果、カスティーリャ王国の財政は多大な軍費で破綻し、軍も弱体化して王国の存亡が危ぶまれた上、かつて父エンリケ2世と王位を争ったペドロ1世 (カスティーリャ王)|ペドロ1世(残虐王)の残党らによるクーデター計画まで発覚することとなる。これに対してフアン1世は、ペドロ1世の孫娘カタリナ・デ・ランカステル|カタリナ(ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの娘キャサリン)を自身の王太子エンリケ3世 (カスティーリャ王)|エンリケと結婚させることや、フランス王国|フランスの支援を得ることで持ち直した。1390年、32歳の若さで落馬事故により死去した。

過去の推移