パリ条約(パリじょうやく)は、1856年にパリで開かれたクリミア戦争の講和会議で締結された条約。締結国はイギリス、フランス、オーストリア、プロイセン、サルデーニャ、オスマン帝国、ロシアの8か国。1853年に作成されたウィーン議定書を踏襲するかたちで、一般に敗戦国のロシア帝国に対して勝利した同盟国側が有利な条件で交渉を進めたといわれるが、内容はオスマン帝国の保全など領土に関する問題は戦前の状態に戻すことで各国が合意しただけで、厳密には戦争継続を不利益とみなした欧州諸国の妥協案である。また、キリスト教世界であるヨーロッパの公法がイスラーム教国(この場合オスマン......
パリ条約(パリじょうやく)は、1856年にパリで開かれたクリミア戦争の講和会議で締結された条約。締結国はイギリス、フランス、オーストリア、プロイセン、サルデーニャ、オスマン帝国、ロシアの8か国。1853年に作成されたウィーン議定書を踏襲するかたちで、一般に敗戦国のロシア帝国に対して勝利した同盟国側が有利な条件で交渉を進めたといわれるが、内容はオスマン帝国の保全など領土に関する問題......