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バイバルス

推定知名度5.03%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

バイバルス・アル=ブンドクダーリー(الملك الظاهر ركن الدين بيبرس بندقداري al-Malik al-Zāhir Rukn al-Dīn Baybars al-Bunduqdārī, 1223年/1228年|28年/1233年|33年 - 1277年6月30日7月1日)は、マムルーク朝(バフリー・マムルーク朝)の第5代スルターン(君主。在位:1260年-1277年)。在位中の事績から実質的なマムルーク朝の建国者と評価されることもある。即位名によりアッ=ザーヒル・バイバルス(الملك الظاهر بيبرس al-Malik al-Zāhir Baybars)とも呼ばれる。マムルーク(軍人奴隷)としてエジプトのアイユーブ朝に仕え、1250年のマンスーラの戦い (1250年)|マンスーラの戦いでエジプトに侵入した十字軍に大勝を収める。1260年のアイン・ジャールートの戦いではモンゴル帝国|モンゴル軍に勝利し、モンゴルのエジプトへの進出を阻止した。戦後、マムルーク朝のスルターン・ムザッファル・クトゥズを殺害して王位に就き、全歴史的シリア|シリアを併合する。バイバルスは優れた精神力と体力の持ち主であり、17年にわたる在位中に38回の歴史的シリア|シリア遠征を実施し、うちモンゴル軍と9回、十字軍と21回にわたって交戦した。38回の遠征において、その半分はバイバルス自身が陣頭で指揮を執っていた。華々しい戦績のためにバイバルスは英雄としてアラブ世界に名前を遺し。バイバルスの英雄譚は説話文学に昇華され、マムルーク朝後期からオスマン帝国期にかけての時期に現存する物語の形式が成立する。バイバルスの活躍を鮮やかに描いた物語は、語り部(カーッス)を通して民衆を魅了した。

過去の推移