画像引用元: upload.wikimedia.orgハインリヒ7世
サムネイル|ハインリヒ7世ハインリヒ7世(Heinrich VII., 1275年 - 1313年8月24日)は、ルクセンブルク家の神聖ローマ皇帝(在位:1308年 - 1313年)。フランス語を母語とし(ドイツ語も堪能)、フランス王の封建家臣でもあった。フランス名はアンリ(Henri)。ルクセンブルク伯ハインリヒ6世の子。もともとは父の後を継いだルクセンブルク伯に過ぎなかったが、1308年にアルプレヒト1世が暗殺されると、ドイツ諸侯に擁されて即位することとなった。諸侯としては、血筋よりも皇帝権力が強化することを嫌っての処置であった。1309年にはスイスの一部を領有し、翌年には息子ヨハンとボヘミア王(ハンガリーとポーランドの王も兼ねた)ヴァーツラフ3世の妹エリシュカとの縁組の結果、ボヘミア王位を自家に獲得するなど、一族の勢力を短期間のうちに拡大させ、ルクセンブルク家は一躍ドイツにおける最有力の勢力となった。ハインリヒ7世はさらに、皇帝戴冠式を行うためローマへと向かう。しかし皇帝の侵入によりイタリアの内乱はたちまち激化し、ローマに辿り着くまでには2年という時間を要した。しかもアヴィニョンの教皇はローマに姿を現わすことはなく、しかたなくハインリヒは枢機卿から帝冠を受けることとなった。その後、ナポリへの遠征を行うが、その最中に客死する。皇帝権力の伸長を嫌うフランスや教皇派により暗殺されたという説もある。イタリア遠征のとき、詩人で有名なダンテは「君主政体」で彼を絶賛している。また、人格的に優れ、責任感に強い人物であったため、人望の厚い名君であったと言われている。フィレンツェの政治家ディーノ・コンパーニはハインリヒに期待をかけ、その年代記の中で「神の子羊」「イタリアの矯正者」と呼びかけている。
