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ハインリヒ2世

推定知名度0.14%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ハインリヒ2世(Heinrich II., 951年 - 995年8月28日)は、バイエルン大公(在位:955年 - 976年および985年 - 995年)、ケルンテン大公(在位:989年 - 995年)。リウドルフィング家のバイエルン大公ハインリヒ1世とバイエルン公アルヌルフの娘ユーディトの間の息子で、神聖ローマ皇帝オットー2世の従兄にあたる。神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世の父。喧嘩公(der Zänker)とよばれる。955年に父ハインリヒ1世が死去し、4歳でバイエルン大公位を継承した。973年に皇帝オットー1世が死去し、オットー2世が18歳で皇帝位に就き、ハインリヒはオットー2世の母アーデルハイトとともに政治を担った。しかし、同年末、ハインリヒの義兄(姉の夫)にあたるシュヴァーベン大公ブルヒャルト3世が死去したのち、オットー2世が異母兄リウドルフの子オットーをシュヴァーベン大公位に就けると、ハインリヒはオットー2世に対し反乱を起こした。また、ノルトガウの併合を企み、同地を領するオットー2世支持者のバーベンベルク家とみられるベルトルト・フォン・シュヴァインフルトと対立した。この結果、974年にハインリヒは逮捕されインゲルハイムに幽閉された。その後ハインリヒはインゲルハイムから脱出しバイエルンに戻ったが、976年にオットー2世はバイエルンの首都レーゲンスブルクを包囲し、ハインリヒはボヘミア公ボレスラフ2世のもとに逃れた。ハインリヒはバイエルン大公位を剥奪され、同大公位はオットー2世の甥のシュヴァーベン大公オットーに与えられたが、バイエルン領東部はオーストリア辺境伯領としてバーベンベルク家のレオポルト1世(ベルトルトの兄弟あるいは甥)に、ケルンテン地方は新たにケルンテン大公領として独立させルイトポルト家のハインリヒ(のちバイエルン公3世)に与えられた。同年、オットー2世はボヘミアを攻めたが大敗し、これをきっかけにハインリヒはケルンテン大公ハインリヒおよびアウグスブルク司教ハインリヒとともに反乱を起こした(「三ハインリヒの反乱」)。これに対し、977年にオットー2世はハインリヒを支持するボヘミア公ボレスラフ2世を再び攻め、これを屈服させた。さらにオットー2世はパッサウに逃れたハインリヒらを攻め、978年にハインリヒらは逮捕されユトレヒト司教の監視のもと幽閉された。ケルンテン大公位はザーリアー家のオットー(老公)に与え

過去の推移