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トマス・ステュアート

推定知名度0.38%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

第2代アンガス伯爵トマス・ステュアート(Thomas Stewart, 2nd Earl of Angus、1331年ころ - 1361年) は、中世スコットランド王国のスコットランド貴族|貴族。トマス・ステュアートは、ジョン・ステュアート (初代アンガス伯爵)|ジョン・ステュアート・オブ・ボンキル とマーガレット・ド・アバーネシー (Margaret de Abernethy) の息子であった。初代アンガス伯爵だった父が死んだとき、ステュアートはまだ幼児だったが、父が遺したベリックシャー ()、アバーネシー (スコットランド)|アバーネシー ()、アンガス (スコットランド)|アンガスの所領と爵位を相続した。1353年、ステュアートは、ロスリン (スコットランド)|ロスリン のウィリアム・ド・サン・クレール (William de St Clair) の娘、マーガレット・シンクレア (Margaret Sinclair) と結婚した。義父にあたるサン・クレールは、既に1330年に、ロバート1世 (スコットランド王)|スコットランド王ロバートの心臓を聖地へ運ぼうとしたジェームズ・ダグラス (ダグラス卿)|ダグラス卿 とともに、テバの戦い で討ち死にしていた。この結婚への承認を求める請願は、ジャン2世 (フランス王)|フランス王ジャン2世の介添えを得て聖座に送られているが、これは若きアンガス伯爵がフランスの宮廷に身を置いていたことがあったことを示唆している。1355年、ベリック・アポン・ツイード|ベリックの攻城戦に加わったアンガス伯爵は、ネビルズ・クロスの戦い 以来10年間囚われの身であったデイヴィッド2世 (スコットランド王)|スコットランド王デイヴィッド2世の解放交渉にあたった貴族たちのひとりとなった。アンガス伯爵は、1360年にソートラ側廊|ソートラ で起きた、デイヴィッド2世の妾キャサリン・モーティマー (Catherine Mortimer) 殺害の陰謀に関わったひとりと見なされ、拘束された。ダンバートン城 に投獄されていた間に、ペスト#腺ペスト|腺ペストに倒れ、没した。

過去の推移