画像引用元: upload.wikimedia.orgテレサ・クリスティナ・デ・ボルボン=シシリアス
両シチリア王女| 画像 = Teresa cristina 1877.jpg| 画像サイズ = | 画像説明 = <big>ブラジル皇妃テレザ・クリスティーナ</big>| 続柄 = | 称号 = テレザ・クリスティーナ皇后| 全名 = テレザ・クリスティーナ・マリア・ジョセッファ・ガスパール・バウタザール・メルキオール・ジャヌアーリア・ロザリア・ルシア・フランシスカ・デ・アシス・イザベル・フランシスカ・デ・パードゥア・ドナタ・ボノッサ・アンドレイヤ・デ・アヴェリノ・リータ・リウティガルタ・ジェルトルデ・ヴェナンシア・タデイア・スピリディオネ・ロッカ・マティルデ・デ・ボルボン=ドゥアス・シシリアステレザ・クリスティーナ・デ・ボルボン=ドゥアス・シシリアス(Teresa Cristina Maria de Bourbon-Duas Sicilias, 1822年3月14日 - 1889年12月28日)は、ブラジル皇帝ペドロ2世の皇后。イタリア語名はテレーザ・クリスティーナ・デッレ・ドゥエ・シチリエ(Teresa Cristina delle Due Sicilie)。両シチリア王フランチェスコ1世と2度目の王妃マリア・イサベル(スペイン王カルロス4世の娘)の娘。シチリア・ブルボン朝の一員としてナポリに生まれる。姉にスペイン王フェルナンド7世の妃マリア・クリスティーナがいる。1842年9月4日、テレサはペドロとナポリで結婚した。肖像画のみを見て結婚を決め、当人同士は欠席したままの代理結婚式であったため、テレサがブラジル入りしたとき、まだ17歳だったペドロは年上妻の肖像画とのあまりの違いに落胆をあらわにした。彼女ははじめ夫から見下されていた。ペドロは彼女と初めて会ったとき、背が低く、弱々しくて不美人なテレサを見て失望し、結婚をとりやめようとしたのである。最初の悪印象にもかかわらず、結婚生活は46年に及び、子供も4人もうけた。皇后テレサはまれにみる思いやりのある女性だった。彼女は知的で、夫と共通の趣味である文化を通して好意を勝ち取った。ブラジルへ向かう時に、彼女は芸術家・音楽家・学者・植物学者などを引き連れてきていた。2人は文化的生活や科学的発見を楽しみ、絵画をテレサの兄フェルディナンド2世に贈ったりしている。彼女は楽器を演奏し良い声で歌った。その上テレサは愛情深い母親
