ティトゥス・タティウスの画像画像引用元: blog-imgs-49-origin.fc2.com

ティトゥス・タティウス

推定知名度0.35%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ティトゥス・タティウス(Titus Tatius)は、ローマの建国伝説に登場するサビニ人の王。のちにロムルスと共治する王政ローマの王となった。タティウスはロムルスによるサビニ女性の略奪ののちその名前が現れる。被害を受けた勢力のうち最も大きな被害を受け、また最も有力でもあったサビニ人は対ローマ戦の中心と考えられた。サビニ人の都市国家クレスの王であったタティウスはサビニ人の中でも指導的地位にありこの戦争の指揮をとったが、復讐を急ぐ他の勢力に対し慎重な準備を主張した。タティウスの主張を入れず単独でローマに戦争を仕掛けた勢力はいずれも敗北した。十分な準備を整えた後タティウスはローマに戦いを挑んだ。当時のローマにはパラティウムのほかにカピトリウムの砦だけが防備となった。タティウスはカピトリウムの麓に布陣しこの砦を攻めた。タルペーイアの裏切りの結果この砦を奪った後はサビニ人はここに陣を移し、のちにフォルム・ロマヌムとなるパラティウムとカピトリウムの間でローマとサビニの戦闘は行なわれた。サビニ側の前線指揮官はメッティウス・クルティウスで、当初はローマ側の前線指揮官ホスティウス・ホスティリウスを戦死させるなどサビニ側が優勢に戦いを進めた。しかしこの戦争最後の戦闘では、ロムルスのユピテル・スタトルへの祈願後ローマ側も勢いを盛り返した。このとき戦争の原因となったローマ人に略奪された女性たちが両軍の間に飛び出し、父と夫との間での殺し合いを止めるように懇願した。これを受けて両軍は休戦し、タティウスとロムルスはただ休戦するだけでなく両民族を統合して一つとする条約を締結した。この場所がのちにコミティウムとなった。サビニとローマの統合によってタティウスはロムルスと共にローマ人の王となった。サビニ人からは100人が選ばれパトリキに追加された。また新たに作られた騎士の3つのケントゥリアの1つとローマの3つの氏族(トリブス)の1つは、タティウスの名にちなんで「ティティエス(ティティエンセス)」と名付けられた。さらにタティウスの名は「ティティウス祭司団」の起源ともなった。以降統合したローマ人たちはタティウスの母市クレスから「クィリテス」と呼ばれることになった。ローマの王となったタティウスはサビニからいくつかの神の信仰をローマにもたらしたとされる。かつてユーピテル、マールスとともにカピトリウム丘で祀られたクゥイリーヌス神はその1つとされる。また一人娘を

過去の推移