ツィンバルカ・マゾヴィエツカの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

ツィンバルカ・マゾヴィエツカ

推定知名度0.73%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ツィンバルカ・マゾヴィエツカ(ポーランド語|波:Cymbarka mazowiecka)またはツィンブルギス・フォン・マゾーヴィエン(ドイツ語|独:Cimburgis von Masowien, 1394年/1397年 - 1429年9月28日)は、オーストリア君主一覧|オーストリア公エルンスト (オーストリア公)|エルンスト鉄公の2番目の妻。ポーランド王国|ポーランドのマゾフシェ公国の統治者シェモヴィト4世 (マゾフシェ公)|シェモヴィト4世と、リトアニアの統治者の一覧|リトアニア大公アルギルダスの娘でポーランド国王|ポーランド王ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)|ヴワディスワフ2世ヤギェウォの妹であるアレクサンドラ・アルギルダイテ|アレクサンドラとの間に生まれた。1412年1月にエルンストと結婚して9人の子供をもうけたが、うち5人は夭折した。神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ3世の母親であるが、フリードリヒ3世の系統のみ男系が存続したため、その後のハプスブルク家全員がツィンバルカの血を引くことになった。異論はあるものの、ハプスブルク一族の遺伝的特徴に突出した下唇を持ち込んだのは彼女だと言われており、少なくとも1621年にロバート・バートンが著した『憂鬱の解剖』は、その説を敷衍している。一族のメンバーの大部分に現れたこの生理学的特徴は、18世紀頃まで受け継がれた。ツィンバルカの彫像はインスブルックの城内付属教会に残っている。また、彼女は非常な怪力の持ち主であったともされ、壁に釘を素手で突き刺したり、クルミを片手で割ったりしたと伝わっている。

過去の推移