画像引用元: upload.wikimedia.orgダギ
ダギ(ᠲᠠᠵᠢ 転写: taǰi、Dagi, ? - 1322年11月1日)は、モンゴル帝国(元 (王朝)|元)の世祖クビライの皇孫ダルマバラの夫人で、武宗カイシャンと仁宗アユルバルワダの母(皇太后)。漢字表記は答己。コンギラト部族の出身で、チンギス・カン|チンギス・ハーンの正夫人ボルテの弟アルチ・ノヤンの曾孫にあたり、アルチ・ノヤンの四男ナチンの息子テムルの娘である。クビライの皇后チャブイは大おばにあたる。幼少のうちから燕王チンキム(のち皇太子)の宮廷に迎え入れられてその次男ダルマバラに近侍し、成人とともにダルマバラと結婚、カイシャンとアユルバルワダの2子をもうけた。夫の早世後、遊牧民の間では一般的な嫂婚制(父や兄の未亡人を娶ることでその財産を引き継ぐ制度)により、夫の弟にあたる成宗テムルとの結婚が検討されたこともあったといわれるが、再婚は行われなかった。このためかテムルの皇后ブルガンとは不和であり、テムル晩年の1305年にはブルガンによって首都大都を遠ざけられ、次男のアユルバルワダとともに河南省|河南の懐州にあるダルマバラ家の所領にあった。1307年、テムルが死ぬと、傍系の王族アナンダを即位させようと目論むブルガンに反対する重臣たちによってアユルバルワダとともにひそかに呼び戻され、大都に入ってブルガンとアナンダを打倒するクーデターに関与した。続いてアルタイ山脈方面に駐留していた長男の懐寧王カイシャンが帰国しハーン|大ハーンに即位すると、アユルバルワダは皇太子として立てられ、ダギも皇太后に立てられる(この時、亡夫ダルマバラも昭聖衍孝皇帝と追諡され、廟号を順宗とされた)。ダギはかつて亡夫ダルマバラの母ココジンが領していた隆福宮を継承し、まもなくダギのために興聖宮が立てられて隆福宮を併せた。興聖宮は代々コンギラト部出身の皇后によって所有されてきた莫大な財産と所領を継承し、その管理のためにいくつもの官庁が設けられ、それ自体がひとつの王国に匹敵するほどの規模を誇った。1311年にカイシャンが30歳ほどの若さで突如急死し、ダギの溺愛する弟のアユルバルワダがハーンに即位すると、カイシャンの側近たちは突如追放され、ダギの寵臣テムデルをはじめとする興聖宮の重臣が権勢を振るうようになり始めた。カイシャンが弟のアユルバルワダを皇太子に立てたとき、その次のハーンはカイシャンの子のコシラとするよう兄弟の間で約束されていたが、ダギはコシ
