スヴャトポルク(Свѧтополкъ、980年頃 - 1019年、スビャトポルクとも)はキエフ大公国の大公。父・ウラジーミル1世の没後、弟のヤロスラフ1世などと対立しながらも、ポーランド王ボレスワフ1世の助力を得て短期間キエフ大公の座についた。『原初年代記』では、修道女を母に持つという出自に加え、後に列聖された異母弟ボリスとグレブを権力争いの末暗殺したことから「呪われたスヴャトポルク」と呼ばれた。
スヴャトポルク(Свѧтополкъ、980年頃 - 1019年、スビャトポルクとも)はキエフ大公国の大公。父・ウラジーミル1世の没後、弟のヤロスラフ1世などと対立しながらも、ポーランド王ボレスワフ1世の助力を得て短期間キエフ大公の座についた。『原初年代記』では、修道女を母に持つという出自に加え、後に列聖された異母弟ボリスとグレブを権力争いの末暗殺したことから「呪われたスヴャトポ......