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ジョアン4世

推定知名度0.95%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ジョアン4世(João IV, 1604年3月18日 - 1656年11月6日)は、ブラガンサ王朝|ブラガンサ朝の初代ポルトガル王国|ポルトガルポルトガル君主一覧|王(在位:1640年 - 1656年)。「再興王」(o Restaurador)と呼ばれる。第8代ブラガンサ公でもあった(在位:1630年 - 1656年)。ブラガンサ家は、アヴィス王朝|アヴィス朝の初代国王ジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世の庶子であったブラガンサ公アフォンソ1世 (ブラガンサ公)|アフォンソ1世を祖とする家系で、王家と通婚も重ねたポルトガルの有力貴族であった。ジョアンは第7代ブラガンサ公と、妻(スペイン貴族のフリアス公フアン・フェルナンデス・デ・ベラスコの娘)の嫡子として生まれた。テオドジオ2世の母はマヌエル1世 (ポルトガル王)|マヌエル1世の六男ギマランイス公ドゥアルテ (ギマランイス公)|ドゥアルテの娘で、自身の権利としてインファンテ (称号)|ポルトガル王女(Infanta de Portugal)の称号を持っていた。エンリケ1世 (ポルトガル王)|エンリケ1世(枢機卿王)の後継を決める際、エンリケ1世の姪にあたるカタリナは次期王位継承候補者に挙がっていた。1580年以後、ポルトガルはスペイン・ハプスブルク朝|スペイン・ハプスブルク家の王の下でスペインと同君連合となっていたが、スペインからの独立の気運が高まっていた。革命の企てにジョアンは一度躊躇するが、妻ルイサ・デ・グスマンに「奉仕して一生を終わるより、統治して死ぬ方がましでしょう」と励まされ、首謀者となる。1640年12月1日、貴族40名らとともにリベイラ王宮へ乱入、収穫人戦争|カタルーニャ叛乱で兵を手薄にしていたスペイン軍はなすすべもなかった。同年12月15日、ジョアンはリスボン大聖堂で即位した(ポルトガル王政復古戦争)。ジョアン4世の時代にポルトガルは、ネーデルラント連邦共和国|オランダ共和国に占領されていたアンゴラの一部とサントメ島を奪還した。ジョアン4世は音楽家たちのパトロンであっただけではなく、自身も作曲を行った。最も有名な作品として、教会合唱曲『クルックス・フィデリス』がある。またジョヴァンニ・ダ・パレストリーナや同時代の音楽に関する著書も残している。

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