画像引用元: musicsan.comシャ・ラ・ラ・ラ・リー
「シャ・ラ・ラ・ラ・リー」(Sha-La-La-La-Lee)は、1966年1月28日にイギリスのR&Bに影響を受けたグループスモール・フェイセスにより3番目にリリースされた曲で、全英シングルチャート第3位に達した。これはまたキーボードでイアン・マクレガンを呼び物にしたこのグループによる最初のシングルである。 グループの前作マリオット/レーン作「アイヴ・ゴット・マイン」における全英チャートの失敗により、ドン・アーデン(Don Arden)がグループの次のシングルが確実に成功するようによく知られた作曲家のケニー・リンチ(Kenny Lynch)とモルト・シューマンを起用することにし、スモール・フェイセスが一発屋ではないということを決定づけた。 その非常に商業的な音の曲は大ヒットになり全英シングルチャートで第3位に到達した。「シャ・ラ・ラ・ラ・リー」の成功にもかかわらずバンドはこの曲を決して本気で好まず、またこの曲はもっとR&Bとソウルを指向する彼らの音楽とは違うようにも感じさせる。 この曲をスモール・フェイセスの終わりの始まりであるとみる者がいる。それによると、ザ・フーやローリング・ストーンズといった同時代のグループのようには真剣に取り上げるべきではないティーニーボッパーバンド程度のものとしてグループが音楽誌から見なされることしきりになったのは、この曲からである。彼らの以前のファンは音楽狂いのモッズであったものであるが、彼らのファンは最早彼らの音楽よりこの若い男性ミュージシャンのカッコいい外見に興味がある若い十代の少女を含んでいる。彼らのコンサートの殆どにおいて、多くの同時代バンドのように、このバンドはファンの女の子たちの大きく絶え間ない叫び声以上のものは聞こえなかった。幻滅したマリオットが、まっとうなミュージシャンとして見なされようと最終的にスモール・フェイセスを離脱し、より重々しいロックとブルース音楽のハンブル・パイという彼の次のグループを結成することで遂にこの状況は終焉に向かった。 スモール・フェイセスは米国でディック・クラーク・ショウ(The Dick Clark Show)のために英国から録画で「シャ・ラ・ラ・ラ・リー」のライブをした。
