シャルロッテ・フリーデリケ・ツー・メクレンブルクの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

シャルロッテ・フリーデリケ・ツー・メクレンブルク

推定知名度0.11%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

シャルロッテ・フリーデリケ・ツー・メクレンブルク(Charlotte Friederike Herzogin zu Mecklenburg [-Schwerin], 1784年12月4日 ルートヴィヒスルスト - 1840年7月13日 ローマ)は、ドイツのメクレンブルク=シュヴェリーン大公家の一員で、デンマーク王クリスチャン8世 (デンマーク王)|クリスチャン8世の最初の妃。夫の即位以前に離婚し、王妃にはなれなかった。メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ1世 (メクレンブルク=シュヴェリーン大公)|フリードリヒ・フランツ1世とその妻でザクセン=ゴータ=アルテンブルク公子ヨハン・アウグスト・フォン・ザクセン=ゴータ=アルテンブルク|ヨハン・アウグストの娘であるルイーゼ・フォン・ザクセン=ゴータ=アルテンブルク (1756-1808)|ルイーゼの間の第3子、次女として生まれた。1806年6月21日にルートヴィヒスルストにおいて、従兄にあたるデンマーク王子クリスチャンと結婚した。夫妻の間には2人の息子が生まれたが、非常に不仲で、1810年3月には離婚した。シャルロッテは夫によってハンブルク=アルトナ|アルトナへ追い払われ、ユトランド半島でしばらく暮らしたのち、1830年にイタリアのヴィチェンツァに移住してカトリック教会|カトリックに改宗した。1833年よりローマに住んでサロンを主宰し、ローマ在住のデンマーク人たちの間の中心的な存在となった。長く患ったあと、1840年にローマで死去し、ローマのドイツ人教会カンポ・サント・テウトニコ(Campo Santo Teutonico)の付属墓地に葬られた。墓は彫刻家イェンス・アドルフ・イェリカウ(Jens Adolf Jerichau)によってデザインされた。

過去の推移