画像引用元: upload.wikimedia.orgシャルロッテ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
シャルロッテ・ヴィルヘルミーネ・クリスティーネ・マリー・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット(Charlotte Wilhelmine Christiane Marie von Hessen-Darmstadt, 1755年11月5日 ダルムシュタット - 1785年12月12日 ハノーファー)は、ドイツのヘッセン=ダルムシュタット方伯領|ヘッセン=ダルムシュタット方伯家の侯女で、メクレンブルク=シュトレーリッツ公(のちに大公)カール2世 (メクレンブルク=シュトレーリッツ大公)|カール2世の2番目の妻。ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ9世 (ヘッセン=ダルムシュタット方伯)|ルートヴィヒ9世の弟ゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット|ゲオルク・ヴィルヘルムと、ライニンゲン=ダークスブルク=ファルケンブルク伯クリスティアン・カール・ラインハルト (ライニンゲン=ダークスブルク=ファルケンブルク伯)|クリスティアン・カール・ラインハルトの娘でブロイヒ(Herrschaft Broich)の女領主であるマリア・ルイーゼ・アルベルティーネ・ツー・ライニンゲン=ダークスブルク=ファルケンブルク|ルイーゼの間の次女として生まれた。オルデンブルク公ヴィルヘルム (オルデンブルク公)|ヴィルヘルムと相思相愛となり、婚約にまでこぎ着けたが、ヴィルヘルムが精神を病んだため婚約は解消された。1782年に姉のフリーデリケ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット (1752-1782)|フリーデリケが亡くなった後、1784年にフリーデリケの寡夫で、ハノーファー選帝侯領の総督であるメクレンブルク公カールと結婚し、姉の遺児たちを継母として世話することになった。1785年、長男を出産した際に産褥死した。夫のカールは子供たちの世話を姑のルイーゼに頼むため、総督職を辞してダルムシュタットに移った。
