画像引用元: upload.wikimedia.orgシャルル3世
シャルル3世(Charles III de Bourbon, 1490年2月17日 - 1527年5月6日)は、ブルボン公、モンパンシエ伯。父はブルボン家傍系のジルベール (モンパンシエ伯)|モンパンシエ伯ジルベール、母はマントヴァの領主一覧|マントヴァ侯フェデリーコ1世・ゴンザーガ|フェデリーコ1世の娘シアラ(キアッラ)。兄ルイ2世 (モンパンシエ伯)|ルイ2世の夭逝により1501年にモンパンシエ伯を継いだ。次いでブルボン家宗家の相続人でルイ11世 (フランス王)|ルイ11世の外孫(ブルボン公ピエール2世 (ブルボン公)|ピエール2世とアンヌ・ド・ボージューの娘)である又従妹のシュザンヌ・ド・ブルボン|シュザンヌと1505年に結婚し、ブルボン家家長および共同のブルボン公となった。シャルルは武勇に秀でており、1515年のマリニャーノの戦いにおける功績により、フランス王国|フランスフランス君主一覧|王フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世によってフランス元帥に任じられた。また、ミラノ総督にも任じられたが、フランソワ1世は間もなくシャルルを解任してフランスへ呼び戻した。1521年に妻シュザンヌが死去すると、フランソワ1世の母ルイーズ・ド・サヴォワはシュザンヌがシャルルに遺贈したブルボン公の所領の相続権を主張した。ルイーズはブルボン公シャルル1世 (ブルボン公)|シャルル1世の娘マルグリット・ド・ブルボン (1438-1483)|マルグリットとサヴォイア公国|サヴォイア公フィリッポ2世・ディ・サヴォイア|フィリッポ2世の娘で、血統上は優位の相続権を有した。シャルルに対し、ルイーズは自身との結婚による相続権問題の解決を提案したが、シャルルはこれを断わった。フランソワ1世が母に代わって所領を没収したことから、憤激したシャルルは王を見限って、当時フランスとイタリア戦争を戦っていた神聖ローマ皇帝カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世に接近し、アンドリアン・デ・クロワを介して1523年に密約を交わした。カール5世はその報償として、姉レオノール・デ・アウストリア|エレオノーレとの結婚をシャルルに約束した(のちにエレオノーレはフランソワ1世と結婚している)。シャルルは更にイングランド王ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世とも密約を交わした。シャルルが企てた計画は、フランソワ1世がイタリアに出兵する隙を突いてブル
