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シカゴ7

推定知名度--%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

シカゴ7(原題:Chicago VII)は、アメリカ合衆国のロック・バンド、シカゴの6枚目のスタジオ・アルバムである。1974年発売。1971年の「シカゴ3」以来、再び2枚組で発売されたアルバムであり、かつ、2枚組のスタジオ盤としては最後のアルバムとなった。1973年、アルバム「シカゴ6」を発売した後、バンドはツアーに出ていたのだが、回を重ねるごとに演奏が熱を帯びてきて、長尺のジャズの器楽曲をライヴで取り上げるようになっていた。聴衆の反応は好意的な反応と否定的な反応が混ざり合ったものだったが、バンド自身は大いに盛り上がった。そこで、これまで数年の間話し合ってきていたのだが、自分達でジャズの影響をはっきりと感じさせるアルバムを録音することが決まったのだった。そしてバンドはプロデューサーであるジェイムズ・ウィリアム・ガルシオの所有するカリブ・ランチ・スタジオにまっすぐ向かったのである。新しく野心的なアルバムを録音しようとしていたのである。最初、録音はうまく滑り出したかのように思われた。しかしすぐに、どういうものを指してジャズというのか、この点に関してグループ内での意見の食い違いが明らかになった。伝えられるところでは、ピーター・セテラとガルシオの二人が「こんな企画を実行して商業的な危険を冒すのはよしたほうがいいのではないかと主張した」ということである。楽曲の中には、良すぎて捨てるには惜しい、ジャズ的雰囲気を持つものもあったのだが、その一方で残りの曲は、バンドが新たに作曲したもっと一般向けの、ロック志向の歌をアルバムに収録するために却下されることとなった。ほとんど偶然の結果なのだが、こうしてシカゴは新たな2枚組みを作り出すことになったのである。これまでのやり方を踏襲した楽曲を扱うことになり、シカゴは再び様々な種類の歌を演奏することになった。テリー・キャスの「ビブロス」は、シカゴが日本で演奏した大阪にあるクラブの名前にちなんで名付けた曲で、キャスの曲の中でも最善のものの一つである。ロバート・ラムは、その時「スキニー・ボーイ」というタイトルのソロ・アルバムを録音していたが、新曲をいくつか書き、さらには、ポインター・シスターズをバック・コーラスに使った自分のソロ・アルバムの主題曲を寄附するといってきたのである。ジェイムズ・パンコウは新たな成功を経験することになり(サーチン・ソウ・ロングが9位)、トランペッターのリー・ロックネイ

過去の推移