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シェモヴィト4世

推定知名度0.27%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

シェモヴィト4世またはジェモヴィト4世(Siemowit IV / Ziemowit IV、1352年頃 - 1426年)は、マゾフシェ公国|マゾフシェ諸公の1人で、プウォツク公を称した。チェルスク、ラーヴァ・マゾヴィエツカ|ラーヴァ、プウォツク、ゴスティニンなどを領した。マゾフシェ公シェモヴィト3世の次男、母はオパヴァ公ミクラーシュ2世 (オパヴァ公)|ミクラーシュ2世の娘エウフェミア。父シェモヴィト3世は、自分の領国をシェモヴィト4世とその兄ヤヌシュ1世スタルシ|ヤヌシュ1世との間で分割相続させた。1381年にヴィシュを、1387年にベルズ|ベウツを相続した。1382年、ハンガリー国王一覧|ハンガリー王・ポーランド国王|ポーランド王のラヨシュ1世が死ぬと、シェモヴィト4世はポーランド次期国王候補に挙げられた。翌1383年にクヤヴィを征服したが、マウォポルスカの貴族達とハンガリー王国|ハンガリーの軍勢によって直ちに撃退された。1386年、シェモヴィト4世はリトアニアの統治者の一覧|リトアニア大公でポーランド王に選ばれたヴワディスワフ2世 (ポーランド王)|ヨガイラ(ヴワディスワフ2世)の配下に入ることを認め、ポーランド王国の世襲の封臣となった。そして翌1387年、ポーランド王の妹アレクサンドラ・アルギルダイテ|アレクサンドラと結婚し、ベウツとその一帯を与えられた。ヴィズナ、ザフクシェ、プウォンスクなど、シェモヴィト4世はその領地の多くをドイツ騎士団に奪われた。これらの領地を取り戻すべく、1409年から1410年にかけて行われたポーランド・リトアニア・テュートン戦争に参加している。タンネンベルクの戦い (1410年)|グルンヴァルトの戦いでも、3つの部隊を率いてポーランド側に立って戦った。

過去の推移