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ザミュエル・フォン・プーフェンドルフ

推定知名度0.69%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ザムエル・フォン・プーフェンドルフ(Samuel von Pufendorf、1632年1月8日 - 1694年10月13日)は、ドイツの法学者。1661年からルプレヒト・カール大学ハイデルベルク|ハイデルベルク大学で国際法の教授を務め、1668年からスウェーデンのルンド大学の教授となった。ヴェストファーレン条約|ウェストファリア条約で各ラントの諸侯権が確立すると、普遍的な「書かれた理性」たるローマ法はその権威を失墜し、新たな「理性法」が要求された。この要求に対し、プーフェンドルフは世俗的自然法論を展開した。彼はトマス・ホッブズと同様に「自己保存本能」を出発点としたが、人間の無力さゆえに他人の助力を要するとして、「自然状態」は家族結合のような社会関係であるとし、完全な闘争状態を否定した。しかし、この自然状態が宗教的な内面の良心に依るだけでは不安定であり、それゆえに社会契約によって国家を形成し、その権力によって平和と安全…国民の福祉を実現するべきであると説いた。このような自然法論は、人間の本性から論証していくという点でフーゴー・グローティウス|グロティウス自然法論の世俗化をもたらし、三十年戦争後の皇帝権・教皇権衰退の下で、諸侯に有利な国家論を基礎付けるに至った。プーフェンドルフの見解はザムエル・シュトリクにより、「パンデクテンの現代的慣用」の名の下に、司法実務に根付いた。

過去の推移