サイード・パシャ(Said Pasha, 1822年3月17日-1863年1月17日)は、ムハンマド・アリー朝エジプトのエジプト総督(ワーリー, 在位1854年 - 1863年)。名君として評価されるが、スエズ運河開発によって財政を悪化させた。1822年、ムハンマド・アリーと側室の間に、四男として生まれる。少年時代には、34年から37年までカイロ領事だったフェルディナン・ド・レセップスが家庭教師を務め、温和でヨーロッパ好きに育った。1854年に即位すると近代化政策を進め、失敗もしたが人道的、民主的な改革を行なった。恩師レセップスに勧められスエズ運河の開発を......
サイード・パシャ(Said Pasha, 1822年3月17日-1863年1月17日)は、ムハンマド・アリー朝エジプトのエジプト総督(ワーリー, 在位1854年 - 1863年)。名君として評価されるが、スエズ運河開発によって財政を悪化させた。1822年、ムハンマド・アリーと側室の間に、四男として生まれる。少年時代には、34年から37年までカイロ領事だったフェルディナン・ド・レセ......