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コンラート1世

推定知名度0.95%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

コンラート1世(Konrad I, 1098年頃 - 1157年2月5日、ラウターベルクの修道院にて没)はマイセン辺境伯(在位:1125年 - 1157年)。ヴェッティン伯ティモ・フォン・ヴェッティン|ティモとその妻イーダ・フォン・ノルトハイム(バイエルン大公|バイエルン公オットー・フォン・ノルトハイムの娘、1083年没)との息子として生まれ、ヴェッティン伯、マイセン辺境伯、ラウジッツ辺境伯を務めた事などで、貴顕家としてのヴェッティン家の権力を確立した。大辺境伯(der Große)、敬虔伯(der Fromme)とも呼ばれる。1125年に神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ5世に、1130年にはロタール3世 (神聖ローマ皇帝)|ロタール3世に従軍して南イタリアに出兵し、マイセン辺境伯に封ぜられた。1136年にラウジッツ辺境伯領(下ラウジッツ)も継いだ。1143年(1144年とも)にはドイツ王コンラート3世 (神聖ローマ皇帝)|コンラート3世から、現在上ラウジッツと呼ばれるロホリッツおよびミルツェナーラントの領主権を与えられた。彼の時代以降、マイセン辺境伯領及びラウジッツ辺境伯領はフラマン人が入植し、開墾した。

過去の推移