コンスタンティノス9世モノマコスの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

コンスタンティノス9世モノマコス

推定知名度0.52%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

(1047年)などの軍事貴族出身の将軍達が反乱を起こし、帝国はさらに衰退してしまった。反乱は何とか鎮圧したものの、1043年に南イタリアの守備を担当していたマニアケスが反乱を起して死亡したために南イタリアにはノルマン人が侵入し、イタリア半島の帝国領は失われていった。1054年、共に野心的であったローマ教皇レオ9世とコンスタンティノポリス総主教ミカエル1世ケルラリオスとの関係が決定的に悪化。7月16日にフンベルト枢機卿がハギア・ソフィア大聖堂の宝座にミカエル1世とその支持者に対する破門状を置き、ミカエル1世も民衆を扇動して皇帝を動かし、ローマ教会の使節団の破門を決定した。コンスタンティノス9世自身はノルマン人の南イタリア侵入に対抗するために両教会の関係改善を望んでいたが、意志が弱いコンスタンティノスはミカエル1世を抑えられず、東西キリスト教会の分裂は深まった(東西教会の分裂)。このように帝国が混迷を極める中での1055年に病死した。

過去の推移