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ゲロ

推定知名度0.49%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ゲロ1世(Gero I., 900年 - 965年5月20日)は、10世紀ドイツのザクセンオストマルク (ザクセン)|オストマルク地方の領邦君主(在位:937年/941年 - 965年)。マグヌス(ラテン語で偉大という意味)と呼ばれた。甥(姉妹の子)に後にマイセン辺境伯となるティートマール1世 (マイセン辺境伯)|ティートマール1世、ケルン大司教ゲロらがいる。ドイツ王ハインリヒ1世 (ドイツ王)|ハインリヒ1世の軍事指導者であったメルゼブルク伯ティートマール (メルゼブルク伯)|ティートマールの子である。937年に皇帝オットー1世 (神聖ローマ皇帝)|オットー1世のザクセン代理統治者であった兄ジークフリート (メルゼブルク伯)|ジークフリートが死去、あとを継いでメルゼブルク伯となる。皇帝オットー1世の異母兄タンクマールは、母がかつてのメルゼブルク伯の娘であり、ジークフリートとも母方を通し親戚関係にあったことから、ジークフリートの死後メルゼブルクを与えられると期待していたが、オットー1世はそれに反しゲロにメルゼブルクを与えたことから反乱を起こし戦死している。ゲロはオストマルク (ザクセン)|オストマルクの辺境伯に任ぜられその領土は著しく拡大し、それらは彼の名を取ってゲロ辺境伯領と呼ばれた。また、ゲロはヘルマン・ビルングと共に10世紀中葉におけるドイツの東方への衝動|東方進出の指導者でもあった。ソルブ人の族長ら30人を処刑するなど。息子ジークフリートはオットー1世の名づけ子であったが、959年父に先立って死去した。ゲロの死後、その広大な辺境伯領はマイセン辺境伯領を含むいくつかの辺境伯領に分割された。

過去の推移