画像引用元: upload.wikimedia.orgゲオルク・ドナトゥス・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
ゲオルク・ドナトゥス・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット(Georg Donatus von Hessen-Darmstadt, 1906年11月8日 - 1937年11月16日)は、ドイツ・ヘッセン大公国のエルププリンツ|大公世子、およびヘッセン大公家家長(1937年)。全名はゲオルク・ドナトゥス・ヴィルヘルム・ニコラウス・エドゥアルト・ハインリヒ・カール(Georg Donatus Wilhelm Nikolaus Eduard Heinrich Karl)。ゲオルク・ドナトゥスはヘッセン大公エルンスト・ルートヴィヒ (ヘッセン大公)|エルンスト・ルートヴィヒとその2番目の妻でゾルムス=ホーエンゾルムス=リッヒ侯ヘルマン・ツー・ゾルムス=ホーエンゾルムス=リッヒ|ヘルマンの娘であるエレオノーレ・ツー・ゾルムス=ホーエンゾルムス=リッヒ|エレオノーレの間に長男として生まれた。ゲオルクは1931年2月2日にギリシャ王子アンドレオス (ギリシャ王子)|アンドレオスの娘セシリア・ティス・エラザス|セシリアと結婚し、間に2男1女をもうけた。ゲオルク・ドナトゥスは1937年5月1日に妻と一緒にナチス党に入党した。1937年10月9日に父エルンスト・ルートヴィヒが死ぬと、ゲオルク・ドナトゥスはヘッセン大公家家長となった。その1ヶ月後の11月16日、弟ルートヴィヒ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット|ルートヴィヒのロンドンでの結婚式に出席するため、ゲオルク・ドナトゥスは母と妻と二人の息子、子供たちの乳母、家族の友人とともにダルムシュタットで飛行機に搭乗した。ところが飛行機はオーステンデ近郊のステーンにある工場の煙突に激突して墜落、乗客乗員全員が死亡した。ゲオルク・ドナトゥスの子供のうち末娘のヨハンナ・マリナ・フォン・ヘッセン|ヨハンナだけは飛行機に搭乗しなかったため助かったが、1939年には髄膜炎のために2歳で死亡している。飛行機事故で亡くなったヘッセン大公家の5人の遺骸は、ダルムシュタットのローゼンヘーエ公園(Park Rosenhöhe)にあるエルンスト・ルートヴィヒ大公の墓所の隣に埋葬された。
