グレプ・ロスチスラヴィチ(Глеб Ростиславич、? - 1278年)は、スモレンスク公(1240年以降 - 1278年)。ロスチスラフ3世の子。一説によればウラジーミル4世の孫ということになる。グレプについて知られるところは少ない。おそらく、フセヴォロドの死後にスモレンスク公国を得たと考えられている。1270年、ウラジーミル大公ヤロスラフと共にノヴゴロド公国を攻めた。1274年、ジョチ・ウルスのハン・モンケ=テムルが、スモレンスクを通過してリトアニア大公国へ向かう遠征軍を組織すると、グレプは遠征への参加を決めた。そしてリトアニア領ナヴァフルダク......
グレプ・ロスチスラヴィチ(Глеб Ростиславич、? - 1278年)は、スモレンスク公(1240年以降 - 1278年)。ロスチスラフ3世の子。一説によればウラジーミル4世の孫ということになる。グレプについて知られるところは少ない。おそらく、フセヴォロドの死後にスモレンスク公国を得たと考えられている。1270年、ウラジーミル大公ヤロスラフと共にノヴゴロド公国を攻めた。......