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グレゴリウス6世

推定知名度0.51%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

グレゴリウス6世(Gregorius VI、? - 1048年初頭)はローマ教皇(在位1045年5月1日 - 1046年12月20日)。本名はヨハネス・グラティアヌス。ラテン門の聖ヨハネ教会の首席司祭を務め、高潔な人物として高い評価を得ていた人物であった。また教皇ベネディクトゥス9世 (ローマ教皇)|ベネディクトゥス9世の代父母|代父でもある。ベネディクトゥス9世が教皇位を退こうと考えて代父グラティアヌスに相談(結婚が目的だったとされる)。そしてグラティアヌスに教皇位を譲り、返礼としてベネディクトゥス9世は多額の金を贈与した。そうしてグラティアヌスがグレゴリウス6世として1045年5月1日に教皇に就任。放蕩だったベネディクトゥス9世に代わってグレゴリウス6世が教皇に就いたことをペトルス・ダミアニなどは歓迎したものの、教会に安泰が訪れたわけではなかった。というのも、かつてベネディクトゥス9世をローマから追放し、教皇となり、後にベネディクトゥス9世によってローマから追放された教皇シルウェステル3世 (ローマ教皇)|シルウェステル3世(サビーナ司教でもあった)が自らの教皇位の正当性を主張したからであった。しかもここにきてベネディクトゥス9世が教皇位を手放したことを後悔し、再び教皇座に就こうと画策したことから、事態がさらに複雑化することとなる。グレゴリウス6世は助祭ヒルデブランド(後のグレゴリウス7世 (ローマ教皇)|グレゴリウス7世)の助言を借りつつ、ベネディクトゥス9世には手紙や教会会議での呼びかけで以て、シルウェステル3世には武力で以て事態を収めようとした。しかしますます混乱の度を深めるだけであった。この宗教界の混乱を収拾するためにローマ王|ドイツ王ハインリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ3世が1046年秋にアルプス山脈|アルプスを越えて進軍。グレゴリウス6世はイタリアに入ったハインリヒ3世と面会し、王の要請に基づいてストリにて教会会議を招集。1046年12月20日に会議が開催される。会議ではベネディクトゥス9世とシルウェステル3世の聖職剥奪とグレゴリウス6世への辞職勧告、およびシルウェステル3世の修道院送致が可決された。会議でグレゴリウス6世は「私の罪状がシモニアというのであれば、私の名の下に開催されたこの宗教会議もシモニア的である」と述べたものの結局は辞職をした。後任にバンベルク司教スイドガーがクレメンス

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