画像引用元: item.shopping.c.yimg.jpクロード・ド・フランス
クロード・ド・フランス(Claude de France, ブルトン語:Klaoda Bro-C'hall, 1499年10月14日 - 1524年7月20日)は、フランス王国|フランス王フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世の王妃で、ブルターニュ公国|ブルターニュブルターニュ君主一覧|女公(在位:1514年 - 1524年)。父はフランス王ルイ12世 (フランス王)|ルイ12世、母はブルターニュ女公アンヌ・ド・ブルターニュ。クロードの母アンヌは2度の結婚でも男子に恵まれず、サリカ法典|サリカ法により王位を継ぐことができない女子2人を得たのみだった。娘たちにはアンヌ自身の持つブルターニュ公位の継承権があったが、故国ブルターニュの行く末を案じたアンヌは1504年のブロワ和議で、ブルターニュの王領併合を阻止しようと長女クロードと未来の神聖ローマ皇帝カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世とを婚約させる案を出した。しかしこの案は、フランスへの外国人支配を許すこととなるため貴族らに反対され、婚約は成立しなかった。代わりにルイ12世は、続柄#いとこ甥|従甥で王位継承権者であるアングレーム伯フランソワをクロードの夫とすることを決めた。1514年にアンヌが死ぬとクロードがブルターニュ女公となり、同年5月にサン・ジェルマン=アン=レーでフランソワと結婚した。翌1515年に父ルイ12世が没し、夫フランソワ1世が即位する。クロードの結婚生活は、絶え間ない妊娠と夫が作った多くの愛人たちの存在のため、心が安まることはなかった。末子マルグリット・ド・フランス (1523-1574)|マルグリットを生んだ翌年、1524年にクロードは死去した。のち、1530年にフランソワ1世はカール5世の姉レオノール・デ・アウストリア|エレオノールと再婚した。ブルターニュ公位は長男フランソワ3世 (ブルターニュ公)|フランソワ王太子が継承し、その早世後はドーファン|王太子の地位と共に次男アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世へと受け継がれた。
