画像引用元: userdisk.webry.biglobe.ne.jpクロード
クロード・ド・ロレーヌ(Claude de Lorraine)またはクロード・ド・ギーズ(Claude de Guise, 1496年10月20日 - 1550年4月12日)は、初代ギーズ公(在位:1528年 - 1550年)。ロレーヌ公ルネ2世 (ロレーヌ公)|ルネ2世とその妻でゲルデルン公アドルフ・ファン・エフモント|アドルフの娘であるフィリッパ・ファン・エフモント|フィリッパの間の次男。兄はロレーヌ公アントワーヌ (ロレーヌ公)|アントワーヌ。フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世のフランス王国|フランス宮廷で教育をうける。17歳の時にクロードはブルボン家のヴァンドーム伯フランソワ (ヴァンドーム伯)|フランソワ(アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世の曽祖父)の娘アントワネット・ド・ブルボン=ヴァンドーム|アントワネットとの結婚によって、フランス王室の同盟者となった。クロードはマリニャーノの戦い(1515年)において目覚ましい活躍をしたが、この戦いで彼が受けた22の傷が癒えるには長い月日を要した。1521年にはバスク国 (歴史的な領域)|バスクのオンダリビアの戦いに参戦し、この地の奪取に貢献したとフランソワ1世の母ルイーズ・ド・サヴォワ|ルイーズからも賞賛された。1523年、シャンパーニュ及びブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュを侵略した神聖ローマ皇帝カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世の軍隊をヌフシャトー (ヴォージュ県)|ヌフシャトーにて打ち破り、この地の統治者に任命された。1525年には、ロレーヌ地域圏|ロレーヌで勃発していた再洗礼派のドイツ農民戦争|農民戦争を制圧した。1528年にフランソワ1世がカール5世の捕虜から解放されて戻ると、クロードはギーズ公を授爵され、フランス貴族(Pair de France)の仲間入りを果たした。それまで公爵位のフランス貴族位を有するのは、王家の出自を持つ者だけに限られており、極めて異例であったといえる。ギーズ家は、その後もロレーヌ公の分家かつヴァロワ=アンジュー家の子孫としてブルボン家出身のコンデ公やコンティ公に対する優位を主張した。ギーズ家の人々のこうした野心や要求はフランソワ1世の不興を買ったが、それでもフランソワ1世はギーズ家のフランス王家への奉仕への見返りとして、土地や資金を豊富に与えた。クロードは1542年のルクセンブルク侵攻でも大活躍を見せた
