画像引用元: upload.wikimedia.orgクリスティーネ・フォン・ホルシュタイン=ゴットルプ
クリスティーネ・フォン・ホルシュタイン=ゴットルプ(ドイツ語:Christine von Holstein-Gottorp, 1573年4月13日 - 1625年12月8日)は、スウェーデン王カール9世 (スウェーデン王)|カール9世の2度目の妃。スウェーデン語名クリスティーナ(Kristina av Holstein-Gottorp)。ホルシュタイン=ゴットルプ家|ホルシュタイン=ゴットルプ公アドルフ (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公)|アドルフと、ヘッセン方伯フィリップ1世 (ヘッセン方伯)|フィリップ1世の娘クリスティーネの娘として、キール (都市)|キールで生まれた。1592年7月8日、当時セーデルマンランド地方|セーデルマンランド公だったカールと結婚(カールは1599年にスウェーデン摂政となり、1604年に即位した)。2人の間には4子が生まれた。*クリスティーナ(1593年 - 1594年)*グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ2世アドルフ(1594年 - 1632年)*マリア・エリサベト(1596年 - 1618年) 従兄にあたるエステルイェートランド地方|エステルイェートランド公ヨハン(ヨハン3世 (スウェーデン王)|ヨハン3世の子)と結婚*カール・フィリップ (セーデルマンランド公)|カール・フィリップ(1601年 - 1622年) セーデルマンランド公クリスティーナは強い意志の女性で、支配者として有能だったといわれる。2人とも性格が非常に似ていたため、夫との結婚生活はおおむね幸福であったといわれた。彼女は夫に同行してしばしば外国旅行をしており、1600年から1601年にかけエストニア公国|エストニアとフィンランドへ行った。彼女が政治に口を出し夫に影響を及ぼしたことはないが、クリスティーナは尊敬され、畏れられた。しかし、クリスティーナはカール9世が国を不在にした1605年には摂政を務め、次男カール・フィリップがロシア・ツァーリ国|ロシア皇帝に招かれた1610年から1612年にかけては、出国を阻止しようとしたことが知られる。また、彼女は長男グスタフ・アドルフが愛人エバ・ブラーエと結婚しようとした時にも、これをやめさせている。1625年、クリスティーナはグリプスホルム城|グリプスホルム宮殿で没した。
