画像引用元: upload.wikimedia.orgカロリーネ・フォン・オラニエン=ナッサウ=ディーツ
カロリーネ・フォン・オラニエン=ナッサウ=ディーツ(ドイツ語:Karoline von Oranien-Nassau-Diez, 1743年2月28日 - 1787年5月6日)は、ナッサウ=ヴァイルブルク侯カール・クリスティアン (ナッサウ=ヴァイルブルク侯)|カール・クリスティアンの妃。ルクセンブルク大公アドルフ (ルクセンブルク大公)|アドルフ(元はナッサウ公)の曾祖母に当たる。オランダ語名はカロリーナ・ファン・オラニエ=ナッサウ(Carolina van Oranje-Nassau)。オラニエ公ウィレム4世 (オラニエ公)|ウィレム4世と妃アン (オラニエ公妃)|アンナの娘として、レーウワルデンで誕生した。ウィレム5世 (オラニエ公)|ウィレム5世は同母弟である。父ウィレム4世が1751年に急死した際、ウィレム5世はわずか3歳であったため、母アンナが摂政を務めた。しかしアンナも1759年に死去したため、父ウィレム4世の生母でカロリーネの祖母であるマリア・ルイーゼ・ファン・ヘッセン=カッセル|マリア・ルイーゼが摂政となった。マリア・ルイーゼが1765年に死去したとき、22歳になろうとしていたカロリーネが代わって弟の摂政を務め、ウィレム5世が18歳の成年に達した1766年に摂政の座を降りた。カロリーネは教養ある女性で、特に音楽に秀でており、ピアノを演奏し歌ったという。幼いヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルトをハーグへ招き、モーツァルトはカロリーネのために6つのピアノソナタを作曲した。モーツァルトは20歳になった1777年に再びカロリーネの元を訪問し、ナッサウ=ヴァイルブルク侯の居城があるキルヒハイムボーランデンで演奏会を開いた。1760年3月、祖母マリア・ルイーゼが摂政を務めていた時期に、ナッサウ家別系統のナッサウ=ヴァイルブルク侯カール・クリスティアンと結婚し、16子をもうけた。成人したのは7人であった。*アウグスタ(1764年 - 1802年)*ルイーゼ(1765年 - 1837年) 1783年、ロイス=グライツ侯ハインリヒ13世 (ロイス=グライツ侯)|ハインリヒ13世と結婚*フリードリヒ・ヴィルヘルム (ナッサウ=ヴァイルブルク侯)|フリードリヒ・ヴィルヘルム(1768年 -1816年) - ナッサウ=ヴァイルブルク侯*カロリーネ(1770年 - 1828年) ヴィート=ルンケル侯カ
