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カジミェシュ・ルボミルスキ

推定知名度0.05%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

カジミェシュ・ルボミルスキ(Kazimierz Lubomirski, 1869年7月16日 プシェヴォルスク - 1930年12月15日 クラクフ)は、オーストリア=ハンガリー帝国|オーストリア=ハンガリー(二重帝国)およびポーランドの貴族、政治家、外交官。ルボミルスキ家の公(フュルスト|侯爵(Fürst)/公爵(książę))。イェジ・ヘンリク・ルボミルスキ公とその妻のツェツィリア・ザモイスカ伯爵夫人(1831年 - 1904年)の間の次男として生まれた。クラクフ政界では保守派に属し、1901年から1913年までガリツィア・ロドメリア王国|ガリツィア王国議会の議員を務め、ガリツィアにおける農業発展と鉄道建設に関わった。1913年より、民族主義派の国民民主党 (ポーランド)|国民民主党()に所属した。1918年に成立したポーランド第二共和国|ポーランド共和国の市民となり、1919年から1921年まで、最初の駐米ポーランド公使としてワシントンD.C.|ワシントンに滞在した。帰国後、遠縁のステファン・ルボミルスキ()の後任として、1921年から1929年までポーランド・オリンピック委員会()の会長を務めた。また地主組織の監督委員会の委員長も務めた。1902年にテレサ・ヴォジツカ伯爵夫人(1883年 - 1948年)と結婚し、間に3男1女の4人の子女をもうけた。長女のツェツィリア・ルボミルスカ(1907年 - 2001年)は、シチリア・ブルボン朝|ブルボン家のガブリエーレ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ|ガブリエル王子に嫁いだ。

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