エンマ・フォン・ヴァルデック=ピルモントの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

エンマ・フォン・ヴァルデック=ピルモント

推定知名度1.14%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

エンマ・フォン・ヴァルデック=ピルモント(Emma von Waldeck-Pyrmont, 1858年8月2日 - 1934年3月20日)は、ヴァルデック侯国の侯家の成員。ヴァルデック侯ゲオルク・ヴィクトル (ヴァルデック侯)|ゲオルク・ヴィクトルの四女で、オランダ王兼ルクセンブルク大公ウィレム3世 (オランダ王)|ウィレム3世の王妃。夫の没後、王太后としてオランダの摂政(在位:1890年 - 1898年)となった。全名はアーデルハイト・エンマ・ヴィルヘルミーネ・テレーゼ(Adelheid Emma Wilhelmine Therese)。1858年8月2日、ヴァルデック侯ゲオルク・ヴィクトルとその最初の妃であったナッサウ公国|ナッサウ公ヴィルヘルム (ナッサウ公)|ヴィルヘルムの娘ヘレーネ・フォン・ナッサウ|ヘレーネの間に第4子として、ヴァルデック侯国の首都であったアロルゼン(現ヘッセン州ヴァルデック=フランケンベルク郡バート・アーロルゼン)で生まれた。エンマは2年前に最初の王妃ゾフィー・フォン・ヴュルテンベルク|ゾフィーに先立たれていたウィレム3世に求婚され、1879年1月7日に結婚した。ウィレム3世は数々の女性と不倫を繰り返して『ニューヨーク・タイムズ』紙に「この世代最大の放蕩者」(\"the greatest debauchee of the age\")と評され、先だって再婚を申し込んだデンマーク王女テューラ・ア・ダンマーク (1853-1933)|テューラやエンマの姉であるパウリーネ・フォン・ヴァルデック=ピルモント|パウリーネには断られていた。しかし2人に41歳の年齢差があったこの結婚生活は幸せなもので、ウィレム3世の浮気癖や気まぐれは再婚後には影を潜めた。1884年にエンマの義理の息子であるオラニエ公アレクサンダー・ファン・オラニエ=ナッサウ (1851-1884)|アレクサンダーが病死して、王家にウィレム3世以外の男子がいなくなると、ウィレム3世がエンマとの間にもうけた一人娘ウィルヘルミナ (オランダ女王)|ウィルヘルミナがオランダ王位の推定相続人となった。ウィレム3世は1890年に没し、10歳のウィルヘルミナが女王として即位した(ただしルクセンブルク大公位はナッサウ家の家法に基づき、エンマにとって母方の伯父である元ナッサウ公のアドルフ (ルクセンブルク大公)|アドルフが嗣いだ)。

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