エリザベート・マルグリット・ドルレアンの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

エリザベート・マルグリット・ドルレアン

推定知名度0.31%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

エリザベート・マルグリット・ドルレアン(Élisabeth Marguerite d'Orléans, 1646年12月26日 リュクサンブール宮殿 - 1696年3月17日 ヴェルサイユ宮殿)は、ブルボン朝期のフランス王国|フランス王家の一員。オルレアン公ガストン (オルレアン公)|ガストンの娘で、アンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアン|グランド・マドモワゼル(大姫君)の異母妹。アランソン女公。娘時代はアランソン姫(Mademoiselle d'Alençon)、結婚後はギーズ夫人(Madame de Guise)の儀礼称号で呼ばれた。オルレアン公とその2番目の妻でロレーヌ公フランソワ2世 (ロレーヌ公)|フランソワ2世の娘であるマルグリット・ド・ロレーヌ (1615-1672)|マルグリットの間の次女として生まれた。洗礼名はエリザベートだが、本人はイザベル(Isabelle d'Orléans)と署名するのを好んだ。1648年、わずか2歳で母方の大叔母カトリーヌ・ド・ロレーヌ()からルミルモン女子修道院()の修道院長を形式的に引き継いだため、親許を離れて修道院で養育された。猫背で、姉妹たちに比べると魅力の点では劣ると見なされていた。1667年5月15日にサン=ジェルマン=アン=レーで、ギーズ公ルイ・ジョゼフ (ギーズ公)|ルイ・ジョゼフと結婚した。ギーズ公はエリザベートより4歳年下で、宮廷儀礼においても王族の彼女より下位におかれていた。夫妻は間に一人息子のフランソワ・ジョゼフ (ギーズ公)|フランソワ・ジョゼフ(1670年 - 1675年)をもうけたが、ルイ・ジョゼフは1671年に早世した。ギーズ公爵家の家督を継いだフランソワ・ジョゼフも、不慮の事故により4歳半で夭折した。修道院育ちのエリザベートは、従兄のルイ14世 (フランス王)|ルイ14世王が推進していたユグノーをカトリック教会|カトリックに再改宗させる運動を熱烈に支持した。1685年のフォンテーヌブローの勅令が出された後、エリザベートは私領のアランソン公爵領に「新改宗者」のための施設を開き、領内のユグノーに改宗を強要していった。1694年に居城のリュクサンブール宮殿をルイ14世に譲渡し、1696年にヴェルサイユで逝去した。

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