画像引用元: upload.wikimedia.orgエリザベート・フィリッピーヌ・ド・フランス
エリザベート・フィリッピーヌ・ド・フランス(Élisabeth Philippine Marie Hélène de France, 1764年5月3日 - 1794年5月10日)は、フランス王国|フランスの王女。フランス革命の最中、兄ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの一家と最後まで運命をともにした。マダム・エリザベート(Madame Elisabeth)と呼ばれていた。フランス王太子ルイ・フェルディナン (フランス王太子)|ルイ・フェルディナンと王太子妃マリー=ジョゼフ・ド・サクスの末娘として、ヴェルサイユ宮殿で誕生した。兄にルイ16世、プロヴァンス伯(のちのルイ18世)、アルトワ伯(のちのシャルル10世)、姉にサルデーニャ王国|サルデーニャ王カルロ・エマヌエーレ4世の妃クロティルデ・ディ・ボルボーネ=フランチア|クロティルドらがいる。漫画『ベルサイユのばら』に「エリザベス内親王」として登場するキャラクターのモデルである。1歳で父を、3歳で母を亡くし、孤児となったエリザベートはマリー・ルイーズ・ド・ロアン|マルサン伯爵夫人マリー・ルイーズに育てられた。この夫人のおかげで、彼女の慈愛溢れる性格が形成されたといわれている。エリザベートは信仰心が篤く、兄ルイ16世に忠実で、全ての縁談を断って兄の許に残ることを選択した。兄アルトワ伯とともに王族の中で最も強硬な保守主義者だったが、エリザベートはアルトワ伯とは違い、フランス革命に際して国外へ脱出することを拒絶し、チュイルリー宮殿で国王一家と監禁された。1791年6月、国王一家とともに逃亡を図ったが、ヴァレンヌ=アン=アルゴンヌ|ヴァレンヌで捕らえられた(ヴァレンヌ事件)。パリへ連れ戻されたエリザベートと国王一家はタンプル塔に監禁された。ルイ16世が処刑され(1793年1月21日)、甥ルイ17世|ルイ・シャルル(ルイ17世)が連れ去られた時も(1793年7月3日)、エリザベートは義姉マリー・アントワネット、姪マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス|マリー・テレーズ・シャルロット王女とともに塔内に取り残されていた。王妃は8月2日にコンシェルジュリー|コンシェルジュリー監獄に連行され、10月16日に処刑された。処刑の朝、王妃が義妹エリザベートに宛てて書いたマリー・アントワネットの遺書|遺書は彼女の元には届けられず、2人の王女たちは王妃の死
