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エリサベト・ア・ダンマーク

推定知名度0.07%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

エリサベト・ア・ダンマーク(Elisabeth af Danmark, 1573年8月25日 - 1626年7月19日 ブラウンシュヴァイク)は、ドイツのブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領|ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯ハインリヒ・ユリウス (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公)|ハインリヒ・ユリウスの2番目の妻。デンマーク王フレゼリク2世 (デンマーク王)|フレゼリク2世とその妻でメクレンブルク公ウルリヒ (メクレンブルク公)|ウルリヒの娘であるゾフィー・フォン・メクレンブルク|ゾフィーの間の第1子、長女として生まれた。スコットランド王ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ6世の花嫁に望まれたが、父王はエリサベトを手放すのを拒み、代わりに妹のアン・オブ・デンマーク|アンナを与えた。1590年4月19日にクロンボー城において、ヴォルフェンビュッテル侯ハインリヒ・ユリウスと結婚した。ハインリヒ・ユリウスは、婚礼のためにコペンハーゲンに到着した際、宝石商に身をやつしてエリサベトに対面した。そしてエリサベトに宝石を贈り、その代価として彼女の純潔を要求した。そのため彼は捕縛され、身元を明かしてこれが悪ふざけであることを証明せねばならなかった。1613年に夫と死別すると隠居したが、長男で後継者のフリードリヒ・ウルリヒ (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公)|フリードリヒ・ウルリヒが寵臣アントン・フォン・シュトライトホルスト(Anton von Streithorst)に国政を任せるなど、優柔不断さから失政を重ねたため、見かねたエリサベトは弟のデンマーク王クリスチャン4世 (デンマーク王)|クリスチャン4世の協力を得て息子とその寵臣一派を排除し、1622年までヴォルフェンビュッテル侯領を統治した。1617年にはエリーザベト救貧院(Elisabeth Stift)を領内に開いている。三十年戦争が始まると領内は荒廃し、エリサベトの住む城も略奪された。

過去の推移