画像引用元: upload.wikimedia.orgエリサベト・ア・ダンマーク
エリサベト・ア・ダンマーク(Elisabeth af Danmark, 1485年6月24日 - 1555年6月10日 ベルリン)は、ドイツのブランデンブルク辺境伯|ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム1世 (ブランデンブルク選帝侯)|ヨアヒム1世の妻。デンマーク王ハンス (デンマーク王)|ハンスとその妻でザクセン選帝侯領|ザクセン選帝侯エルンスト (ザクセン選帝侯)|エルンストの娘であるクリスティーナ・フォン・ザクセン (1461-1521)|クリスティーナの間の長女として生まれた。1502年4月10日ににおいて、ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム1世と結婚した。この時、エリサベトの父方の叔父フレゼリク1世 (デンマーク王)|フレゼリクと、ヨアヒムの妹アンナ・フォン・ブランデンブルク (1487-1514)|アンナの婚礼も同時に行われた。この2つの縁組は、オルデンブルク家|デンマーク王室とホーエンツォレルン家|ブランデンブルク選帝侯家の絆を深めるための二重結婚であった。選帝侯夫妻は間に5人の子供をもうけた。1523年頃より、反教皇派の神学者マルティン・ルターの教説に共感を寄せるようになったが、これは宗教改革の強硬な反対論者だった夫の怒りを買うことになり、夫から監禁すると脅迫されるようになった。1527年以後、秘かににあずかるようになった。1528年3月、ブランデンブルク領を越境してザクセン領のに逃れ、母方の叔父であるザクセン選帝侯ヨハン (ザクセン選帝侯)|ヨハンに庇護され、1535年までザクセン宮廷に滞在した。亡命中は深刻な経済的困窮に悩まされていたが、1535年に夫が死ぬと、2人の息子ヨアヒム2世 (ブランデンブルク選帝侯)|ヨアヒム(2世)とヨハン (ブランデンブルク=キュストリン辺境伯)|ヨハンが相当額の年金を送るようになったため、生活状態は改善された。翌1536年、のに転居し、この城で小宮廷を営んだ。1545年にようやくブランデンブルク領に戻り、ベルリン郊外のに居を構えて熱心な宗教活動に身を捧げた。
